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災害復興支援
社会貢献活動 災害復興支援





 当JA管内は、2004年の1年の間に、7月13日に発生した「新潟・福島豪雨」、10月23日に発生した「新潟県中越地震」と、二度の自然災害に見舞われました。
さらには、翌2005年2月には19年ぶりとなる「大豪雪」と三度にわたる災害をも乗り越え、「元気出していこー!新潟」をスローガンに復興への道のりを進んでいます。
 また、3年後の2007年7月16日に発生した「新潟県中越沖地震」に再び見舞われ、度重なる震災を経験してきました。


 当JAでは、災害発生直後から、組合員をはじめ地域住民の皆様を支え続け、情報提供や各種支援策を講じながら、復旧・復興に全力を注いできました。現在もなお、仮設住宅での生活を強いられている皆様にとっては、一日も早い回復を望まれる中で、当JAは「復興支援住宅ローン」をはじめとした様々な支援をこれからも続け、被災された皆様とともに復興へ向けて力をあわせて頑張っています。

「新潟・福島豪雨(2004.7.13)」に関する記事等はこちら
「新潟県中越地震(2004.10.23)」
「新潟県中越沖地震(2007.7.16)」




水害発生後にJA越後ながおかが独自で、組合員や地域住民に対して、ライフラインや被災状況などを発信する「水害情報速報サイト」を設置し、収集した情報の提供にあたりました。

「7.13水害速報サイト」の過去ログページはこちら>>
※2004年8月以降の情報更新はありません。情報内容・期限等は2004年8月末までのものとなります。


●7.13豪雨災害対策資金(※取扱終了)
被害に遭われた皆様の復興のため、復旧支援融資の取り扱いなど、幅広い資金調達の支援をおこないました。〔取扱額 56件 1億8千万円〕

●復興住宅ローンの設定(※取扱終了)
集中豪雨で被災した家屋などに対して、低金利の融資商品を設定し、資金調達の支援をおこないました。

●復興募金活動(青年部)
JA青年部において、被災した地域への募金活動をおこない、農地復旧などを支援しました。






震災後にはJA越後ながおかが独自で、組合員や地域住民に対して、ライフラインや被災状況などを発信する「震災情報速報サイト」を設置し、収集した情報の提供にあたりました。

中越地震速報サイトはこちらから >>
※2004年12月以降の情報更新はありません。情報内容・期限等は2004年12月末までのものとなります。


●10.23新潟県中越地震災害対策資金(※取扱終了)
被害に遭われた皆様の復興のため、復旧支援融資の取り扱いなど、幅広い資金調達の支援をおこないました。 〔取扱額 75件 2億7千万円〕

●震災復興住宅ローンの設定(※取扱終了)
中越地震で被災した家屋などに対して、低金利の融資商品を設定。期間も平成20年3月末まで延長するなど資金調達の支援を続けています。〔取扱額 501件 61億7千万円 (H18.7)〕

●震災復興イベントの開催
復興を祈念した農業祭の開催をはじめ地域行事などに積極的に参加・協力しながら、地域の復興支援に取組んでいます。





【2006.8】

中越地震直後から長岡市今朝白の旧長岡支店店舗で営業を行っていた山古志支店が、8月14日に山古志種苧原の店舗で営業を再開しました。当JA田井会長は「住民の皆様お帰りなさい。ようやく支店業務を再開でき、これからもJAは皆様を支え続けていきます」と述べ、集まった住民とともにオープンを祝いました。再開する業務は、金融・共済の全業務、生産資材を中心とした購買店舗業務、ポータブル給油機やLPガス、灯油ロータリーの燃料業務です。
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【2006.6】

地元農家組合や関係団体協力のもと、JA越後ながおかが事業主体となり災害復旧事業を進めてきた5地区8工区のすべての工事が完成間近となりました。事業では、被害を受けた溜め池などの生産施設や農地の復旧工事をおこなってきました。各地区では、震災前の元気な姿を取り戻しつつあり、復興へ向けた今年の農作業を着実に進めています。
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【2006.5】

JA全国共済農業協同組合連合会の野村弘会長をはじめ、JA共済連新潟本部長ら7名が5月15日、中越地震の被災地「山古志」を訪れ、旧村役場の竹沢地区で復旧状況を視察しました。これまで全共連や県本部から、当JA管内へ100名を超える損害調査員の派遣や、特に被害の大きかった太田・山古志地区へ併せて92億円にのぼる共済金の支払いなど、迅速な対応をいただきました。
野村会長より「共済金を基に住宅再建に役立て、今後もできる限り支援を続けたい」と全国規模の組織力やJA共済のサポート力を伝えました。
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【2006.2】

栃尾地区の地域活性化グループ「すくらむ21」は2月5日と12日、栃尾栗山沢・新山・半蔵金集落で独り暮らしのお年より宅や震災で被害を受けた住宅の雪下ろしを行いました。今年は昨年末から降り続いた大雪のため3メートル以上も積もり、場所によっては10回も雪下ろしをした住宅もありました。また、仮設住宅から通いながら雪下ろしをする方もあるほどです。作業では、地元で育ち雪下ろしのベテランである有志やJA職員らがスノーダンプやスコップ、かんじきを持参して、背丈以上の雪と格闘しながらボランティア活動を展開しました。
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【2006.1】

JA青年部も震災復興に少しでも力になりたいと、2005年の大晦日に、長岡リリックホールと米百俵群像前広場で「がんばろねか!カウントダウン」に参加しました。新年幕開けとともに新長岡市が誕生し、市制100周年の祈念も祝う式典となりました。会場には、復興と発展を祈願する「願播朗神社(がんばろう)」が設置されたほか、屋台村や年越しそばで来場者を温めてくれました。JA青年部は、新年幕開け直後に上がった花火とともに、もちつき大会で盛り上げ、250人分のもちを振舞い勇気付けました。
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【2005.12】

12月2日に長岡市七日町の長岡ライスターミナル(ラック式倉庫)で、全農主催の北陸地区農業施設研修会の視察受入れを行いました。北陸農政局の担当者ら25名が参加し、震災による施設の復興状況などを見てまわりました。視察では、当JA担当者から「震災によりラック棚が変形し、スタッカークレーンも故障した。余震の心配がある中、安全確保を優先しながら米を出庫し、6月末に復旧作業を終えた。今年の集荷には何とか間に合わせた」と対応を説明し、今後の参考点などを確認していただきました。
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【2005.11】

JA女性越後ながおかが、中越地震からの復興を祈念して「震災復興記念誌−笑顔の活動−」を制作・発行しました。防災用品の「携帯ラジオライト」と併せて部員全員に配布しました。
記念誌は、JAさいたま女性部から贈られた見舞金をもとに、支援の感謝とこれまでの体験を忘れないためにと、形に残る記念誌として制作したものです。防災用品は県外の女性組織から被災JA女性組織に交付された義援金により、役員会で協議し配布したものです。
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【2005.10】

10月13日には、栃尾地区の低温倉庫に運び込まれた山古志米の初検査がおこなわれました。刈り取り期の間近で若干天候が崩れ気味だったものの、生育状態はよく、初検査の結果ではコシヒカリ全量が1等米(上位等級比率100%)となり、山古志農家も安堵の表情が伺えました。検査を終えた紙袋(写真右下)には、1等米の印が次々と押され、山古志米の復活を印象づけていました。
JAの農産物検査員は「粒が若干小さいものの整粒自体は良好で、平年に近い状態。田植え期の遅れからくる生育の影響で青未熟粒が見られるので、収量的には少なくなる見込み。実の入りの状況を見ながら収穫をおこなうことが重要」と、今後の刈り取り時期や乾燥調製での最終仕上げの管理を重要視する見解でした。
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【2005.10】

収穫・集荷された山古志産コシヒカリが10月12日、検査のため保管されていた山古志地区の上村倉庫から栃尾地区の泉低温倉庫へ無事運び出され、13日に検査を受けました。
 検査を終えた米は、今年の作付けできなかった同地区の組合員の要望に応え、飯米用として優先的に販売。そのほか、地元や首都圏に向け、復興を支援の感謝の意を込めて販売していく予定です。
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【2005.10】

山古志ライスセンターも復旧・調整が整い、農家が収穫し運び込まれた籾の荷受作業で順調な稼動を始めました。軽トラックにはズッシリと実ったコシヒカリの籾が積み込まれ、大事そうにライスセンターの中へと送られていきました。
また、山古志地区内でも、昔ながらの刈り取った稲を束ねた「はさ架け」する風景も垣間見ることができ、徐々に震災前の状態に近づきつつあります。
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【2005.10】

およそ1ヵ月遅い6月上旬の田植えから4ヶ月が経過した10月。山古志の地でもようやく収穫期を迎えることができ、刈り取り作業にいそしむ農家の姿を見ることができました。心配されていた用水や作付けの遅れなどの影響は、水管理などJAの指導や農家の懸命な栽培管理で順調に生育。比較的天候にも恵まれ、たくましく育った稲は立派な穂をつけていました。喜びの表情で刈り取りを進める農家は「収量は少ないが、粒はしっかりとしている。味は変わりなく美味しい米が出来たと思う」とコンバインを走らせていました。
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【2005.8】

山古志地区の農家は、週末に仮設住宅から水管理や畦の除草に訪れるなど、厳しい条件の中でも懸命の米づくりが続けられました。
8月10日過ぎから営農指導担当が現地入りし、調査ほ場で草丈や茎数、葉齢などを計測。例年よりおよそ1ヵ月遅い田植えの影響もあり、出穂は例年の12〜13日遅れの予想。山古志地区では、農地や水路の復旧工事が着々と進行しています。現在では、地区の一部で避難勧告が解除され、水道や電気なども復旧し、久しぶりの自宅生活を送る住民も見られています。
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【2005.6】

全村避難を強いられる山古志地区では、地区への立ち入りが制限されるなかで、農家は農地を守ろうと地道な春作業の準備を進めてきました。農家の「山古志で米を作りたい」という切なる願いを、JAをはじめ行政などと話し合いも続けられてきました。
壊滅的被害を受けた山古志地区で米づくりを継続させるため、JA、行政、関係機関と協議を重ね、一部の作付可能地区で約1ヵ月遅れの田植え作業が実現しました。苗はJA育苗センターで植え遅れを調整した苗を供給。山古志米の栽培を継続することができました。
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【2005.4】

陥没や亀裂、液状化など、農地や農道などいたるところで出ていた損壊を修復する作業が、3月後半から急ピッチで進められました。災害復旧支援事業を活用により、ほ場の整地や農道整備も進み、農家が春作業をおこなえるまでに回復することができました。
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【2005.2】

2月1日の近年にない大豪雪の影響で、雪解けの遅れから春の復旧工事に着手できなくなるため、地元生産組織に依頼して融雪剤の散布を実施。降雪もおさまり天候も回復したことから、雪解け後急ピッチで復旧工事がスタートしました。
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【2004.12】

来春の稼動体制を万全にするため、早急な修繕や補強作業を着々と進めてきました。しかし、被害規模が想像以上に大きく、国の災害支援補助事業の適用を受けるため、国の査定員を要請して被害状況や修復経費等の査定調査を進めてきました。
現在では各施設とも修復作業も完了し、通常通り稼動できる状態まで回復しております。
(※一部の保管倉庫などで使用不能となった施設は、危険性のため解体いたしました。)
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【2004.12】

仮設住宅での生活を強いられている太田地区住民と、今後、使用できる農地と崩落で使用不能となった農地を空中写真をもとに、継続有無の検討をおこない、優先的な復旧工事地を、行政とともに選定・協議しました。
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【2004.12】

JA共済の「建物更正共済」および「My家財」ご契約者に、復旧に必要な資金を迅速に支払えるようにと、被害家屋10,695棟(2005.9.2現在)の調査をおこない、すでに31,635百万円の共済金を支払いしています。
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【2004.11】

10,000棟を超える被害棟数に迅速に対応するため、職員を総動員して損害調査をすすめてきました。また、全国のJAからも大勢の調査員が協力体制を組み、損害査定で現地の被害状況を確認してまわりました。
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【2004.11】

震災被害は、田畑・農道・用排水路など農業用地も大きな被害を受けたため、各種支援事業や関係機関と連携した農地復旧への取組みを地区農家組合長と協議を進め、今後の方向性などを検討重ねてきました。
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【2004.11】

震災後、生活環境が一変したなかで、生産農家を中心に地域住民を支えるため、各地域に設置している「農産物直売所」を早期に再開しています。
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【2004.11】

農地復旧に国や市などがおこなう「災害復旧事業」において、現地調査や事業申請手続きなど詳細な要綱を生産者に説明し、早期の農地復旧に着手できる対応を進めました。
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【2004.11】

全国各地のJAグループから送られてくる支援物資を、管内の避難所などへJA職員が搬送。食料や衣類、生活用品などさまざまな物資を届けていただきました。
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【2004.10】

震災の影響により、LPガスやホームタンクの転倒・破損から起こる二次災害を防ぎながら、ライフラインの早期復旧に奔走。とくに、生活に欠かせないガスの供給では、プロパンガスの転倒などで危険をいち早く回避する安全確認作業を優先して、ライフライン確保に努めました。
また、電話など通信機器が使えない地区では、JAの各支店などを連絡所として、安否確認や災害情報の収集に役立てていただきました。
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【2004.10】

女性部を中心にJA職員らが協力し、避難住民のいる公民館などで長期にわたって炊き出し支援を続けました。炊き出し用の材料は、生産農家(新組地区)からご提供いただきました。
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【2004.10】

震災直後の24日、JA役員を中心に「災害対策本部」を設置して、情報収集や連絡体制、被害状況などを把握に努めました。また、各支店と連携し地域の被害や避難状況などから今後の対応を検討してきました。
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